卒業生の声


私は2014年に9年間の就学を経て補習校を卒業しました。フランスに引っ越してきたのは7歳の2学期でした。フランスの現地校に通い新しい生活を迎えた私にとって補習校は日本人の友達と会話ができる唯一の場所でした。時が経つにつれ、現地校のフランス人の友達もでき、周りがフランス人だけの生活に慣れていきました。それでも、土曜日は早起きして、1時間かけて補習校へ通うのは毎週の楽しみでした。しかし、6年生になり日本へ本帰国する生徒が続々と増え、中学三年生の頃には二人で授業を受けていました。当時は残ったクラスメイトとも仲がいいわけではなかったので休み時間は沈黙の間でした。あまりにも会話が少なく、”おはよう”と”さようなら”ぐらいしか言わなかったのを覚えています。楽しくない、宿題も多い、土曜日の朝はゆっくり寝たいなどやめる理由が次々に頭に浮かぶようになりました。さらに、中学三年生の秋には、もう一人のクラスメイトも帰国することになり、とうとう一人になってしまいました。それでも私は最後まで頑張ってみることにしました。そして、2014年の3月やっとこの思い出が詰まった補習校を無事卒業しました。

 

現在私はスイスの工科大学に通っています。日本語を使う機会はほとんどありませんが、今となって補習校に通っていて良かったと思うことがたくさんあります。私の大学には日本から修士で来られている学生が数十人います。名門と言われる大学の学生(東大生、東工大生)ばかりで、最初は自分の日本語がきちんとしているか不安でしたが、今では不自由なくやり取りをしています。

 

また、日本へ一時帰国する際には、補習校の同級生で集まったりします。皆それぞれ違う道を歩み、また母国で皆と会えるのはとても嬉しいことです。

 

このように、補習校のおかげで日本語を維持し、いい仲間とも出会えました。補習校の先生方には感謝しています。

 

皆さんも是非、卒業した数年後、補習校に通ってよかったと思えるような思い出をたくさん残してください。

 

2014年の卒業生 

 

   私は小学校一年生から十年間補習校に通い、2013年に卒業しました。補習校での在学期間の大半は苦痛の連続であったため、私自身これ程長い間補習校に残ることになろうとは思いませんでした。この場を借りてその時の心境を振り返ろうと思います。

 

   小学校時代、補習校は私を束縛するような環境に思えました。毎週通うことが鬱屈で、退学したいと何度も母に訴えていたのを覚えています。テスト勉強はおろか、宿題もおろそかにする数年間が続きました。その時期は同じクラスにいる友達に会いに行くためだけに通っていたようなもので、趣味であるプロ野球や漫画の話をよくしました。

 

   しかし中学校に上がってから日本語へのアプローチが随分と変わったのを覚えています。授業内容は難しくなり、友達の多くが日本に帰ったにも関わらず自主的に通うようになったのがその時でした。それは多分、当時担任の先生が僕の趣味を引き合いに上手くやる気を出させてくださったり、姉が日本の高校に体験入学したことを切っ掛けに日本語への関心度が高まったからだと思います。それにより日本語力が向上し、補習校が束縛の場から自分を表現出来る場へとイメージが変わりました。中学を卒業した後は姉と同様に日本の高校で体験入学しましたが、補習校で「意味がない」と思っていた勉強や趣味から得た「無駄知恵」が生き、新たな環境に上手く順応することが出来ました。フランスに戻った頃にはそれは日本の大学への関心に繋がり、もう一年補習校へ通う決断へと直結します。最終的に日本の大学への興味は薄れ、フランスの大学に通うことになりましたが、新たな可能性を考えるきっかけとなりました。そのため、真摯に向き合ってくれた先生方や、日本語力向上へ常に努めてくれた母には感謝しています。

 

   現在は多くの日本人学生と交流したり、日本人と働く機会もありますが、今の自分を語る上で補習校はやはり欠かせないものだと感じています。日本語が話せることは新たな出会いの可能性を作る大切な基礎となりました。不真面目でも積み重なった十年間に対する自信、日本との確かな繋がりへの自覚、補習校で培ったものすべてが自己形成に多大な影響を与えました。

 

   現役生、あるいはこれから補習校に通うかも知れない皆さんにも、自分が補習校に通う理由が分からなくなる時期もあれば、日本語への興味もなくなる時期もあるかもしれません。しかし、補習校に通うことにより作られる日本語の土台を生かし、新たな自分が発見できることを願っています。

 

2013年の卒業生